悩みのるつぼ~朝日新聞社の人生相談より~ 岡田 斗司夫 著を読んで

40代の女性からの“モノが捨てられない78歳の母親”についての相談に対する回答に
こころをえぐられた。

 

<相談内容>
捨てられないのにモノを買い、父と二人しかいない家はモノであふれている。
整理をしてあげると言っても拒絶される。
使用しないものはどんどん処分してほしい。

 

 

<回答>
お母さんにとって欲しいと思うときが、生きていると感じられるとき。
それを使わないなら処分しろというのは、
「これ以上、生きるな」と言っているようなもの。
あなたのいう上手な老い支度というのは、母親に自分の年齢を自覚させ、
死がすぐそこまで来ていると意識させることである。

 

母親が買ったのは生きる希望。 
心の底で「もっと生きたい」とか「みんなと暮らしたい」とか思っていることを悟られないように、
聞きわけのない老害にならないようにと思っているのに、
抑えられずに買ってしまう。
その結果、自分の娘からも「なんでこんな要らないものばかり買うの?」と言われてしまう。

 

捨てられるはずがない。
捨てるというのは、母親の希望や可能性まで捨てるってことだから。

 

 

 

うちの実家もモノが多い。
家が広く、押し入れもたくさんあるため、両親はそれほどモノがあるとは思っていない。
ワンルームで生活をしているわたしから見ると、
“これ要るの?”って思うものが山もりなのだけど。

 

岡田さんの回答をみて泣いてしまった。
相談者と同じことを、わたしも両親にも言っているからだ。
「お皿?いっぱいあるやん。もう買わんでええって!」
「健康グッズ?どうせすぐ飽きて使わんようになる」
「いらんいらん、家のまだ使えるやん」

 

こころがチクチクする。

 

わたしが口うるさく言うのは、
”このままモノが増えると、亡くなったあとの片づけが大変”って思っているから。
まだ健康な両親が死んだあとのことを、頼まれもしないのに勝手に考えている。

 

“一緒に住んでほしい”と思っている両親の気持ちを感じないわけがない。
だから、たまにしか帰らないわたし用のお皿を買われたとき、
なんか重く感じてしんどかったんだ。

 

でも、両親のモノに関しては、もう言うのをよそうと思う。
“まだ必要だから”捨てないのだろうし、“これからの人生で使いたい”から買うのだろう。

 

自分本位な気持ちに気づかせてくれた<悩みのるつぼ>に感謝している。
いまのわたしに必要だから、わたしもこの本を手に取ったんだろうな。