映画を観るまでに疲れた日

20日の祝日。
映画館に行くために、朝から万全の準備をした。
いただいたチケットの期限が3月末のため、20日に行こうと前から決めていたのだ。

 

映画から帰ったらゆっくりしたい…
まずは洗濯機をまわしながらご飯を炊き、
おでんの下ごしらえをしながら、炊けたご飯を1食ずつ冷凍。
掃除機をかけ、洗濯ものも干した。
しないといけないことを全部終わらせて、いざ映画へ!

 

外に出ると思っていたよりも寒かったのだけど、
これくらいは想定内。
雨も降っていたけど、これも天気予報で確認済みだ。
でも突風は想定外だった。
注意報出てたのかな?

 

まぁいいや。
「家からは遠いけど、映画館と直結しているJRから乗ろう」と思って向かっていたが、
風のきつさで傘がひっくり返り、被っていた帽子も飛ばされるアクシデントに見舞われた。
今日はやめとこかな…と諦めて家に向かっていると、風が弱まってきた。

 

行けるかも。
「映画館とはすこし距離があるけれど、もう阪急から乗ってしまおう」
そう思って阪急の駅に着いた頃には、雨も風もやんでいた。

 

「やっぱりJRから乗ろう」
いざJRに着くと、なんと人身事故で20分ほど遅れているという。
まじかー。
駅に着くまでも遠まわりしたのに、映画のスタートに間にあうのだろうか…と心配していたのだけど、
なんとか開演5分前に席に着くことができた。

 

観たのは“DUNE 砂の惑星パート2”
パート1?観てないけど、なんとかなるやろ。って思って選んだんだけど、
なんとかはならなかった。
迫力がすごくて眠ることなかったけれど、
内容がわからないからすごく長く感じた。
でも、わけがわかれば絶対におもしろい映画だとも思えた。

 

ありがたいことにチケットはもう1枚ある。
パート1を観てリベンジだ!

 

グレイテスト・ショーマン

Amazonプライムで、もうすぐ2回目の鑑賞が終わろうとしている。

 

忙しく、ここ最近はアプリを開くこともなかったのに、
たまたま開いたときに見つけた“Prime”の文字。
なんて幸運!

 

ありがとう!Amazonさん。
大好きな映画なんです。

 

でも実は映画館で観たことがない。
最初はDVD。返却するまでに5回ほど観たと思う。
曲だけの再生なら、もっと多い。

 

観足りなくて、プライムビデオを検索したこともあったけれど、
有料のため断念した記憶がある。
DVDを買おうとまでは思わなかったんだ…
まさかこのタイミングで観せていただけるとは。

 

疲れが溜まり、時間もないのにもかかわらず一気観してしまった。
でも観ることで精神が回復し、
精神が回復したおかげで体も持ちなおし、
忙しさを乗り切るこることができた。
恐るべしグレイテスト・ショーマンパワー。

 

登場人物や内容についてあれこれ言うひともいるけれど、
そんなの関係ねぇ。
好きなものは好き。
100%評価されるものなんて、この世には存在しないしね。

 


www.youtube.com

 

この映画を観てから、わたしはもうずっと A Million Dreams で目覚めている。
朝からステキな気持ちにさせてくれるこの曲がとても好きです。

 

 

 

リップクリーム どこまで使うか問題

 

わたしはここまで。


爪楊枝でほじる。
ほじってほじって最後まで使う。

 

昔々ある友人にそれを話すと驚かれたのだけど、
わたしは驚かれたことに驚いた。
普通に塗れなくなってからも、ずいぶんと使えるよ?
「もったいないじゃん」って言うと、貧乏くさいと。

 

貧乏くさい上等や。
だって、もったいないもん。

 

お部屋の保険

溜まっているレシートの整理をした。
ニコニコ現金払いの分はすぐに捨てるのだけど、
クレジットカードは引落しが終わるまで念のため置いている。

 

ここ最近とても慌ただしく、保管用のクリアファイルがパンパンなのを見て、
11月のレシートすら捨てられていなかったことに気づいた。

 

整理をしていると、なにかあったときの安心料として加入している
“個人用 火災総合保険”の領収書が何枚か出てきた。

・2013年 3,870円
・2018年 2,420円
・2020年 3,410円
・2021年 4,800円
・2023年 4,780円

2018年はプランの変更をしたから安いのか…

 

もうそろそろ保険屋さんから電話がある頃だ。
金額が大きく変わらないなら、安心料として2024年もお願いしようと思う。

 

~ものの見方が変わる座右の寓話 戸田智弘 著~より

コトバンクによると、
寓話とは
“教訓的な内容を、他の事物、主として動物にかこつけて表わした、たとえ話。寓言。
イソップ物語」の類”
と書かれている。

 

こういった類の本が好で読みかえしているのだけど、
その中のひとつ『ロバと親子』のお話を、自戒の意味も込めてブログに残しておこうと思う。

 

ある日、父と息子がロバを引いて歩いていると、
それを見た若者が「どっちか1人がロバに乗ればいいのに」と話している。
⇒息子がロバに乗る

 

今度は、息子がロバに乗り、父が歩いているのを見た老人が、
「年老いた父を歩かせて息子が楽をしている。けしからん」と怒る。
⇒息子が歩き、父がロバに乗る

 

今度は、息子が歩き、父がロバに乗っているのを見た女性が、
「子どもを歩かせて、親が楽をしている」と非難。
⇒父と息子2人でロバに乗る

 

今度は、2人でロバに乗っているのを見た若者が、
「2人も乗るなんて、ロバがかわいそうだ」と批判。
⇒ロバから降り、2人でロバを担ぐ

 

それを見た周りのひとが笑った。というお話。
ほんま、どないせーっちゅうねん。笑

 

著者の戸田さんは、
「すべての人に好かれることはできない。ひとは自分の立場でものを言う」
と書かれているけど、本当にそのとおりだと思う。

 

事件や事故も、事実はひとつなんだよね…
でも、みんな自分のフィルターをとおして見るから、バトルが起きたりするんだろうな。

 

悩みのるつぼ~朝日新聞社の人生相談より~ 岡田 斗司夫 著を読んで

40代の女性からの“モノが捨てられない78歳の母親”についての相談に対する回答に
こころをえぐられた。

 

<相談内容>
捨てられないのにモノを買い、父と二人しかいない家はモノであふれている。
整理をしてあげると言っても拒絶される。
使用しないものはどんどん処分してほしい。

 

 

<回答>
お母さんにとって欲しいと思うときが、生きていると感じられるとき。
それを使わないなら処分しろというのは、
「これ以上、生きるな」と言っているようなもの。
あなたのいう上手な老い支度というのは、母親に自分の年齢を自覚させ、
死がすぐそこまで来ていると意識させることである。

 

母親が買ったのは生きる希望。 
心の底で「もっと生きたい」とか「みんなと暮らしたい」とか思っていることを悟られないように、
聞きわけのない老害にならないようにと思っているのに、
抑えられずに買ってしまう。
その結果、自分の娘からも「なんでこんな要らないものばかり買うの?」と言われてしまう。

 

捨てられるはずがない。
捨てるというのは、母親の希望や可能性まで捨てるってことだから。

 

 

 

うちの実家もモノが多い。
家が広く、押し入れもたくさんあるため、両親はそれほどモノがあるとは思っていない。
ワンルームで生活をしているわたしから見ると、
“これ要るの?”って思うものが山もりなのだけど。

 

岡田さんの回答をみて泣いてしまった。
相談者と同じことを、わたしも両親にも言っているからだ。
「お皿?いっぱいあるやん。もう買わんでええって!」
「健康グッズ?どうせすぐ飽きて使わんようになる」
「いらんいらん、家のまだ使えるやん」

 

こころがチクチクする。

 

わたしが口うるさく言うのは、
”このままモノが増えると、亡くなったあとの片づけが大変”って思っているから。
まだ健康な両親が死んだあとのことを、頼まれもしないのに勝手に考えている。

 

“一緒に住んでほしい”と思っている両親の気持ちを感じないわけがない。
だから、たまにしか帰らないわたし用のお皿を買われたとき、
なんか重く感じてしんどかったんだ。

 

でも、両親のモノに関しては、もう言うのをよそうと思う。
“まだ必要だから”捨てないのだろうし、“これからの人生で使いたい”から買うのだろう。

 

自分本位な気持ちに気づかせてくれた<悩みのるつぼ>に感謝している。
いまのわたしに必要だから、わたしもこの本を手に取ったんだろうな。

 

知り合いなんだけど、名前は知らない

土曜の朝。
まえに通っていたスポーツジムで一緒だったひととすれ違った。
同じレッスンに出て挨拶をしたり、たまに話すことがあったひと。
名前を聞かれたことはないし、わたしから聞いたこともない。

 

先方は自転車、わたしは歩き。
向こうは気づいていないと思う。

 

すれ違うまで思いだしたことはなかったのに、
お元気そうな姿をみて、なんだかとてもうれしかったんだ。

 

思えば不思議だ。
週に何回か会って、「こんにちわ」「こんばんは」は言うのに、
でも名前は知らないの。
お互いの名前を知っているひとのほうが少ないんじゃないか、とさえ思う。
連絡先を交換しないとこんなもんなのかな。
それとも、近しくなりすぎないようにある程度の距離をとっていたからだろうか。

 

なんのことはない。
名前を知らない知り合いとすれ違っただけで、
一日幸せな気持ちで過ごせた。
ということが書きたかっただけのことでした。

 

なんかまとまりがないけれど、
今日はこれで終わりにしましょ。